【大坂城】真田丸から大阪城へ向かう!

04 関西

同じ都市でも20代と30代では見え方が違います。
だから旅って何度出かけても終わりがないんでしょうね。

どーも、どーもHiroです。

大阪は10代の学生の頃もきました。
社会人数年目の20代の頃も社内旅行できました。
今回は30代になって、ichikoときましたが、全く違う都市にきたようです。

興味があることが変わったからか、経済力が変わったからか、知識が変わったからか。

今回記事にする大坂城は、興味の部分が大きく変わったことで楽しみ方が大きく変わったなぁと思います。

歴史上の場所に行くこと

観光地で行く場所は大きく3つあると思っています。

1つは新しくできた印象的な建物や商業施設。
東京スカイツリーやらあべのハルカスといった所ですね。

2つ目は、絶景がある場所。
万座毛や東尋坊といった所です。富士山が綺麗に見える所とかもそうですね。

3つ目は歴史上の舞台となった所です。意外と歴史を知らなくても楽しめる場所です。

歴史なんて全然知らなくても、中学の修学旅行で京都に行けば、金閣寺やら二条城やらに行きました。
教科書に載っていて、写真で観たことがある建物や寺院は、まさに観光地に来た気がするからいいですよね。

でもやはり歴史を知って行くと楽しみ方が変わります。
当然詳しい方が良いのでしょうが、歴史には色んな説があって、人物の性格も事件の善悪さえも切り口によって変わってしまうので、自分なりの解釈で十分です。
浅い知識なら浅い知識なりに楽しめばいいと思っています。

城の楽しみ方も歴史を少し知ると楽しみ方が変わります。歴史上で対象の城がでてくるおおまかな時代背景と関わった人物を知ってから行くだけでだいぶ変わります。

今回、訪れた「大坂城」も建物が豪華で立派なので、何の知識無く見ても楽しめるでしょう。しかし、事前に少しの予備知識を持つことでより観光に行くことが楽しみになりましたし、実際に行って見方が変わりました。

大坂城へ行く前の予備知識

大坂城へ行く前に入れていった予備知識は3つです。

予備知識のポイント

  1. 織田信長が本拠地の安土城より強固な城として「大坂城」を構想した。
  2. 天下統一を果たした豊臣秀吉が「大坂城」を建設した。
  3. 大坂夏の陣で徳川家康対豊臣家の戦場の舞台となった。
    その時活躍したのが真田丸

雑っ!(笑)

でもこんなもんで良いのだと思います。この3つの知識を入れたことで、日本人なら誰でも知る三大武将の織田・豊臣・徳川みんなに関わっていることが知れだけで、興味が俄然湧いてきたでしょう。

さらに、数年前に堺雅人さん主演で話題になった大河ドラマの「真田丸」ってここのことだったか、と知ることが出来ました。簡単に上記3点のポイントを説明します。

歴史を振り返る

大坂夏の陣

関ケ原の戦い以降、政権をとった徳川家康でしたが、天下統一のためには前政権の豊臣勢を完全に根絶する必要がありました。しかし、豊臣家の持つ大坂城は、あの織田信長が構想したものであり、大きな敷地と堀は史上最強の城して君臨し簡単に落とせるものではありません。そこで、まず豊臣家の言動にいちゃもんをつけ、堀を埋めさせたうえで、攻め落とすことにしました。その戦争が大坂夏の陣です。

勝敗はだれの目にも明らかでした。いくら、大坂城が川と海に囲まれて天然の要塞となっていても、堀を埋められていては、城の防衛能力は半減です。そんな中では仲間も集まりません。豊臣に世話になった武将でも、お家の存続のために、豊臣の味方して徳川に反抗することはできません。
そんな中でも、豊臣家に忠誠を尽くし、活躍したのが真田幸村です。

真田丸

真田幸村は、堀が埋められた大阪城の最大の弱点は、川の無い南側とみて、南側に出丸(出城)を建設します。これが「真田丸」です。
南側から攻めてくる敵(徳川側)をその出丸で撃退します。出丸で足止めをされている間に本丸側から攻撃する戦法です。出丸を無視して本丸に向かうと出丸からの兵に挟み撃ちにされます。
最終的には数に劣る豊臣家側は敗北していまいますが、真田幸村のこの豊臣に対する忠誠と武勇は伝説となっています。

これらの歴史をたどりながら観光するためには、大坂城へは真田丸跡から攻めるルートにします。

「玉造駅」から真田丸まで徒歩10分

大坂城へ行くには、「大坂城公園駅」をはじめいくつか大坂城の周りには候補駅がありますが、「真田丸」を目指すには、「JR玉造駅」が便利です。
駅から徒歩10分程度で真田丸の跡地として、真田山公園・三光神社・心眼寺があります。

駅から向かうとまず三光神社の入り口につきました。

小さなお寺ですが、雰囲気が良く気持ちいいお寺です。

全く人はいませんでしたが、やっぱり観光地ですね。三光神社には真田幸村の顔抜きがあります。

神社の横の道を行くと真田山公園です。そこには真田幸村の銅像までありました。

大河ドラマは観ていませんが、幸村のイメージは堺雅人さんだったのですが、こんなに恰幅のいい方だったのですね(笑)武田信玄かと思いました。
強い武将は建設会社の社長のような出で立ちの方が多いのでしょうか。

真田家の武勇は関ケ原の戦いでも有名になりましたが、この絶対有利な徳川に対し、かなり苦しめたと言います。最終的に敗北はしましたが「日本一の兵(つわもの)」と言われるほどになります。この銅像の横にある穴が大坂城まで続いていてたようです。

出城は小さいといはいえ城なので、籠城して戦うのでしょうから、情報や食料補給ができることは大きなポイントです。もしかしたら負傷した兵を入れ替えしていたのかもしれません。

この場所は周囲と比べて少し高くはなっていますが大阪城までは見えません。ただ、相手も人数や武器を含めた情報が本丸へ入っていくことも大きなことだったのかもしれません。

真田山公園を抜けた先に顕彰碑もありました。明星学園という学校の一部になっています。こんな場所の学校の生徒たちは歴史好きになるのでしょうか。そんなことを考えながら北の大坂城を目指します。

結構遠かったです。1kmちょっとあるでしょう。出城である真田丸を無視した場合、この間で挟み撃ちができるだけのスペースなのでしょう。

南側から大坂城へ到着

大坂城も広いです。敷地内に入っていますが、城は見えません。大都会の中心なのにこれだけの公園になっているのはすごい。東京は、江戸時代の大名屋敷跡に緑が残っているので、とこどころ大きめの公園がありますが、大阪はほとんど残っていないですよね。この公園はとても貴重です。

堀も広い

この堀があるだけで確かにこの城を落城させるのは難しいことがわかります。特に弱点とされた南側は大きな堀になっています。南側の堀越しでは天守は見えません。
城を落とすために、まず堀を埋めさせた徳川の気持ちがわかる気がします。

西側から堀を渡って城を目指します。西側の渡しは綺麗に整備されています。ここからでも天守は見えません。攻めている側の兵士だったら、どんだけでかい城なんだと戦意をなくすことでしょう
堀の渡しの先に大手門があります。

やっと見えてきました。内堀の際まで近づいてやっと天守が見えます。

内堀超しですが、正面に回るとはっきりと天守を確認することができます。

大坂城の天守について考える

大坂城でかいです。装飾も綺麗ですね。石垣は綺麗にサイズの整えられたものですね。色は手入れが気行き届いていて真っ白です。

ここでふと気になりました。。

豊臣の城は黒、徳川の城は白と聞いたことがあります。はっきりとした区別があるわけではありませんが、徳川の時代になって不燃性の漆喰による白壁が流行したからといわれています。

今回真田丸から大坂城を攻めるイメージを持って訪れたせいか、勝手に豊臣の城をイメージして、黒の力強い城を勝手にイメージしていました。そのため、真っ白で装飾の多いこの大坂城に違和感を感じました。
よく考えると、豊臣の建設した大坂城天守は、大坂夏の陣で焼失しているはずです。

大坂城を眺めながらスマホで調べてみると、やはり豊臣が建設した一代目大坂城天守は1615年の大坂夏の陣で焼失しています。
その後徳川が建設した二代目天守も、1665年の落雷で焼失しています。
その後260年以上天守のない城だったんですね!

現在の三代目天守は、徳川の二代目天守を模して、昭和30年代になって復興されたものです。

・・・う~ん、目の前にしてこの事実に気づいてしまうとなんか偽物をみている感覚に陥ってしまいました。
歴史を振り返るためだったり、街のシンボルとしてには良い施設ではありますが、大阪人のアイデンティティーの中にこの城は全くないではないかと思います。大阪の方はどう思っているのでしょう。

関東人からすると、江戸城が今復興建設されるようなものです。違和感ありますね。
観光用アトラクションです。

北方向へ抜けて大坂城を振り返る

大坂城は中にもはいれますが、前節のような経緯からテンションが下がってしまったことに加えて、入場時間までまだ10分あったことと、周辺が海外観光客だらけだったのこともあり、帰ることにしました。

写真は北方向に堀を渡った所から振り返ったものです。南側や大手門のある西側と比べて近くに見えます。
北側は淀川や大川といった河川があるので、防衛上の心配は少なかったためでしょう。

観光客も北側の方が少ないのでゆっくり眺めるには北側の方が良いかもしれません。

大坂城を訪れて

今まで城を見に行くのは、その大きさや綺麗な装飾や街のシンボル性にうっとりとしていました。
そのような楽しみ方も楽しいものです。

今回は歴史の予備知識を少し入れて訪れた大坂城は、城の新しい楽しみ方を開拓したようでした。

攻める時の気持ちになって城を眺めたり、堀の意味、周辺の土地環境も気になり、城自体の違和感からもっと知りたくなる知識欲まで刺激された観光になりました。

歴史上の舞台となる場所へ観光する時は、少しの予備知識を入れていく楽しみ方にハマりそうです。
まずは、現存天守を見に行きたいなぁ。。

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